伊坂幸太郎のすごさは、人間の感情や心の動きを俯瞰したところから眺める、ある種冷徹でシステマチックとまで言える客観性と、キャラクターや人間だからこそ持てる愛おしさや温かさの相反する2つが共存しているところにあると思う。
『死神の精度』に関しては、その長所がふんだんに生かされる舞台設定だ。
「死神」という人間ではない存在から見る人間の心の動きの景色が新鮮で面白い。人の死や緊急事態、熱烈な恋や犯罪を少し離れたところから見るギャップとそこに含まれるユーモアと本質性。
この死神・千葉というキャラクター自体も、笑われるとムッとするところとか、音楽が中毒的に好きなところも実は人間らしかったりする。
「人間が作ったもので一番素晴らしいのはミュージックで、もっとも醜いのは、渋滞だ」
戦争ではなく渋滞なのが死神っぽい。
<ここからネタバレ>
降り続いた雨の霧がまだ残る中、空が気持ちよく晴れ渡る瞬間に頭で鳴った曲を選んだ。
爽やかさで湿り気の残る雨上がりの快晴。そんなイメージの曲調。
コーラスの神々しさは死神といえども、一種の神さまであることに通じる。
歌詞はとてもシンプルで、その中の象徴的な歌詞。
“You can’t hear. I see that wow ~
遮る視界 差す silent sign”
「君には聴こえないがわたしには分かる。
遮る視界に差す静かな予兆。」
死には悲しみが寄り添うが、一歩引いてみるとそれはその人の人生を遮る詰まりを打ち破る最後の予兆なのかもしれない。
これほどまでに死が描かれているのに、この作品はなぜか清々しい読後感と清涼感に満ちている。
そしてふと、こう考えてしまう。
もし仮に死神・千葉に「死」が訪れるとするならば、最後の晴れはその予兆なのかもしれないと。
『死神の精度』に関しては、その長所がふんだんに生かされる舞台設定だ。
「死神」という人間ではない存在から見る人間の心の動きの景色が新鮮で面白い。人の死や緊急事態、熱烈な恋や犯罪を少し離れたところから見るギャップとそこに含まれるユーモアと本質性。
この死神・千葉というキャラクター自体も、笑われるとムッとするところとか、音楽が中毒的に好きなところも実は人間らしかったりする。
「人間が作ったもので一番素晴らしいのはミュージックで、もっとも醜いのは、渋滞だ」
戦争ではなく渋滞なのが死神っぽい。
<ここからネタバレ>
降り続いた雨の霧がまだ残る中、空が気持ちよく晴れ渡る瞬間に頭で鳴った曲を選んだ。
爽やかさで湿り気の残る雨上がりの快晴。そんなイメージの曲調。
コーラスの神々しさは死神といえども、一種の神さまであることに通じる。
歌詞はとてもシンプルで、その中の象徴的な歌詞。
“You can’t hear. I see that wow ~
遮る視界 差す silent sign”
「君には聴こえないがわたしには分かる。
遮る視界に差す静かな予兆。」
死には悲しみが寄り添うが、一歩引いてみるとそれはその人の人生を遮る詰まりを打ち破る最後の予兆なのかもしれない。
これほどまでに死が描かれているのに、この作品はなぜか清々しい読後感と清涼感に満ちている。
そしてふと、こう考えてしまう。
もし仮に死神・千葉に「死」が訪れるとするならば、最後の晴れはその予兆なのかもしれないと。
1件のコメント
『死神の精度』全体のテーマとして選曲しました。主人公の千葉を通して描かれる6つの人生。彼らの人生は千葉にとって興味のないもの、かつ千葉の住む世界とは別の、異質なものとして描かれます。それによって、登場人物たちの何気ない行為や言葉から、彼らの様々な「欲望」が際立つように設計されていると感じました。「lust」ー欲望、切望と名付けられたこの曲を、『死神の精度』というフィルター越しに聴いてみると……不規則なリズムからは人間の躍動感を、無機質なパーカッションからは千葉の仕事に対するクールさを、細かい音の粒によるメロディーは、千葉を象徴する雨粒のようでもあり、どこか温もりを感じる音色は、死に相対した人間からにじみ出る人間臭さに通ずる……かな?と。無理やりのこじつけで、冗長で、お粗末なコメントで大変恐縮ですが、是非『lust』を死神の精度とセットで聴いてみてください。
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