鈴木球子
サドのエクリチュールと哲学、そして身体
サドは歴史に翻弄されただけではない。サドの身体は歴史を横切り、それを手玉に取ったのだ。この猥褻な聖侯爵は、その作品とその実在を通して、我々に一つの哲学的難問を突きつけたのである!シュルレアリスムによって賞揚され、精神医学によって診断され、逸話によって引き回されたサドは、はたして一八世紀のサドだったのか?理性によって秩序が編制された啓蒙の時代に、同時代の文芸・思想を捻じ曲げるようにして「道徳」を、そして「自然」を暴力的に書き綴った彼の戦略と射程を見極める。