ジル・ヴェルヴィッシュ,小川仁志,永田千奈
スター・ウォーズ 善と悪の哲学
スター・ウォーズには哲学がある。 ヨーダやオビ=ワン・ケノービの言葉には、哲学や智慧の教えが含まれている。 そこには東洋哲学の片鱗が見える。フォースには仏教や道教を思わせる部分があるが、スター・ウォーズに神はいない。だからエンターテインメントとして楽しめる。 ジェダイの教えは禅や武術に通じる。つまりフランスのデカルト的合理主義の対極にあるものだ。デカルトを筆頭に西洋哲学は理性を重んじ、真実の追究を目指してきた。 セオリー、つまり理論的であろうとすると実生活から遠ざかってしまうものだが、スター・ウォーズの哲学は行動に結びついていて実践的だ。 そういう意味では、古代哲学のストア派やエピキュリズムに近いともいえる。 これらの古代哲学は幸福になるための正しい暮らし方を説くものだった。 幸せになるにはどうしたらいいのか。どのように考えればいいのか。 いや実際には、考えないほうがいい。これも西洋哲学とは大きく異なる点である。 デカルトの哲学は「我思う、ゆえに我あり」に集約されている。 一方の東洋哲学、そしてジェダイの哲学は「邪念を捨てる」ことに終始する。 幸福になりたければ、考えるのはやめて「感覚」を大事にすべきなのだ。 古くから同じ命題が問いかけられてきた。まず「死の神秘と恐怖」。 生き方や死に方についての議論は絶えない。 智慧はまず死を受け入れよと説く。そして自制も大事だ。ダース・ベイダーのようにおのれの欲望を暴走させてはいけないのだ。 「善と悪」も永遠の命題だが、フォースの暗黒面を見れば、善悪が表裏一体であることも明らかである。 こうして我々は、いやがうえにもスター・ウォーズによって思考を余儀なくされる。映画が投げかけてくる問いに対して、自然に考えさせられるようになっているのだ。しかもその問いは、我々自身の人生や世の中の問題と結びついている。 でも、だからといって映画を観ただけで答えが明らかになるわけではない。 スター・ウォーズで哲学する本書の役割は、ここにある。 スター・ウォーズが投げかけた問いを、考える際の手引きになるのである。