小浜逸郎 日本語は哲学する言語である 日本語を日本語で哲学すれば、デカルトやハイデガーが、何を間違えたのかがよくわかる。西洋哲学がそのロゴス至上主義ゆえに逢着してしまったアポリアを超えて日本語の文法構造から新しい日本語の哲学を切り拓く画期的な試み。 シェアする